老健の医者になって
老健連盟会員の皆さまコンニチハ。如何お過ごしでしょうか。
4月に介護報酬改定があったばかりなのでバタバタされている施設も多いかと思いますが、頑張っていきましょう。
今回は昔話にお付き合い下さい。
僕は1989年に医者になったので、今年で35年目になります。1989年〜2000年は大学病院の外科医局に籍を置く消化器外科であり、2002年から老健の医者になりました。2000年〜2002年の2年間は何をやっていたのかと云えば、医者をやめて音楽の仕事をしていました。学生の頃からセミプロで音楽をやっていましたが、外科医になると音楽をやる時間はまったくありません。卒後10年間は”外科医の修行”に邁進していたけど、心のなかでは音楽をやりたくて仕方ありませんでした。そこで、ひと通りの修行が終わったと思えた時点で大学病院を退職し、フリーランスとなって音楽の仕事を始めました。新しいバンドを作ってライブハウスで演奏し、ふたつの音楽事務所に所属し作曲の仕事をしたり、ワインバーや結婚式場で演奏したり、ラジオパーソナリティーなどの仕事をしていました。
音楽の仕事は夜なので、昼間は趣味のランニングに明け暮れていました。
音楽の仕事をする日々は愉しかったけど、2年経って医者に戻ろうと思いました。
「自然環境の豊かな場所で地域医療に従事して、気持ちよく音楽とランニングを続けよう。」そう考えて新しい職場を探し、富士山のすぐそば(山梨県富士河口湖町)の病院で2002年5月から外科医として働き始めました。半年が経ったところで、同じ敷地内に新しく出来た老健の施設長(管理医師)を引き受けて欲しいと頼まれました。
音楽の仕事と趣味のランニングで忙しく、いったんは断ったのですが「名前だけでいいから、、。」と言われて、2002年11月新設された「介護老人保健施設はまなす」の施設長を引き受けることになりました。
なりゆきで就任した老健の医者だったので、僕は熱意なく最低限の仕事をすることを心掛けていましたが、一緒に働く職員達(特に介護職)は目が輝いていました。
「新しく理想の施設を立ち上げよう!」と云う想いで熱意がほとばしっていました。一緒に働く職員の熱意に押されて、僕も徐々に熱中し始めました。正面から取り組んでみると老健の仕事には歓びが多いことに気付きました。
老健の医者になって半年が過ぎた頃に衝撃的な事件が起こりました。山梨県には30施設の老健があり、“老健医師連絡会”と云う医者の集まりが毎年行われます。
老健の医者になって間もない僕は、勉強のために出席してみました。会場に入るとオジイサン、オバアサンばかりで「利用者の会か、、?」と思ってしまうほどでした。形式的な連絡会が終わったあとの懇親会で、老健の仕事で疑問に思っていることを数名の老医師に質問してみました。「私は85才で老健のことはよくわかりません。タクシーで週2日行ってハンコを押すだけの仕事です。」こんな答えばかりが返ってきました。
「これでは日本の老健は駄目だ、、。日本の老人介護は崩壊する、、。」
こう思った僕は、その日から老健の医者を自分のライフワークにすることを決意しました。
はまなす職員と力を合わせて、理想の老健を創ることに邁進しています。
2016年から山梨県老健協議会の会長を務めることになり、2020年からは全国老健協会(全老健)の常務理事を務めることになりました。ふたつの役職を務めるようになって、日本の老人介護の本当の大変さを知ることになりました。
介護現場の職員がどれだけ頑張っても、その頑張りは国の予算を決める場所には届きません。介護現場の頑張りを、そして待遇の悪さを、厚生労働省、財務省、国会などに訴え続け、待遇を改善することに僕たち全老健執行部は命懸けで取り組んでいます。全老健執行部が頑張っても状況はなかなか好転しませんが、全国27万人の老健職員が一丸となれば、厳しい現状を変えることが出来るかもしれません。
みんなの力を結集しましょう。
老健連盟一般会員を増やすことに御協力ください。年会費は500円です。
以前は施設単位での入会でしたが、現在は個人でも入会可能です。
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福田六花 Ricka Fukuda
全国老人保健施設協会・常務理事
全国老人保健施設連盟・常任執行委員
山梨県老人保健施設協議会・会長
介護老人保健施設はまなす施設長(山梨県・富士河口湖町)
